top of page
Search
smshige3

「今はただ感謝だけが残る」


 亡くなる少し前に、私の友人の爽はこんな言葉を書いた。「今はただ感謝だけが残る」。彼が七一歳の時のことで、これは四四年間連れ添った妻の千緒にたいして書かれたものだ。千緒は彼よりほんの数ヵ月前に六五歳で先立った。彼と同じ、東京の聖路加国際病院でのことだった。

 妻が肺がんと診断されてから最後のステージまでの間に、爽は千緒のために感謝を込めて看護することについて学んだ。介護者となって、妻が病気と闘うのを助けることに自分を捧げたのだ。だが、その仕事は翌年、彼自身が胃がんであると診断されたことで、とてつもなく辛いものとなった。妻より長く生きるだろうと思っていたのに、突然、最後まで彼女の世話ができるだろうかという心配に襲われた。爽は介護者だけでなく、旅仲間ともなり、千緒ががんのステージを先に歩み、問題のひとつひとつに直面するのをあとから追いかけていった。

 妻を失くした大いなる悲しみのなか、爽は千緒が書き続けていた日記を見つけた。日記を読むと、疲れ切っていた思いは吹き飛び、読みながらまるで妻の声が聞こえるようで、彼は心地よさや慰め、励みを得た。爽自身も日記をつけていたことから、このふたつをひとつにまとめてみようとの考えが浮かんだ。すると、毎日は小さな目的で満たされるようになり、ひとりきりの人生のむなしさや、蝕まれていく体のことを忘れることができた。

 自分たちの苦境を理解しようとして、爽は千緒に尋ねる。

「どんなひどいことを私たちはしたのだろう。どうしてこんなひどい目に遭ったのだろうか」千緒は自信ありげに言う。「何もしてはいませんよ、ただ、そういう運命なんです」

 彼女はこの運命にすら感謝の気持ちを向ける。

「こんなおかしな経験をしているおかげで、私は苦しんでいる人たちの気持ちがわかるんです。ひとつになれるのです」

 この同情心こそが千緒ががんになった原因だと爽は思っている。うつ病の母親の看護に見せた彼女の慈悲深い優しさこそが。しかし、爽が千緒の母親を恨みに思うのにたいして、千緒はそれを自分の運命だと受け入れて、こんなふうにさえ言う。

「母さんにもっと優しい言葉をかけてあげればよかった」

 千緒の肺がんは優しさのせい、自分の胃がんは怒りのせいだと信じる爽は、その大きな皮肉について思いをめぐらせる。

 爽は千緒を観察しながら、どうして自分ががんなのかを問い続ける。千緒の母親を責めていたが、次第にそれは自分が望んだことだったのではと思うようになっていく。千緒は彼を慰めて言う。「あなたは本当に私の戦友になってくれたのですね。こんなストレスを与えてごめんなさい」。これを聞いて爽は、自分は病気を通して、がん患者とそうでない人を隔てる溝を埋めてきたのだと気づく。「千緒に『戦友』と呼ばれたことで、ひとつであるような穏やかな気持ちになりました」

 運命であり神の思し召しだとしてすべてを受け入れる、と千緒は爽に告げる。彼女は落ち着いている。しかし、爽には理解できない。

「こんな重い病気になったのに、どうしてそんなに明るく陽気でいられるんだい」と爽は尋ねる。千緒は笑って答える。

「なぜって、周りの人たちが親切にしてくれて感謝しているからですよ」

 自分の世話をしてくれている人たちへの感謝、美への感謝、真理への感謝を抱いているのだ。芸術家の千緒は人生のちょっとしたことを喜ぶべきものと気づき、認めることができる—ごはんと味 汁というシンプルな食事、世話をしてくれる看護師、食事を運んでくれる人たち、息子たち夫婦、生薬、病院からの薬、朝の運動、ゆったりと新聞を読むこと、そして、「パートナーと共にいるヒロイン」のように家で暮らすこと。

 亡くなる少し前に、千緒は日記にこう書き残した。

「もう長くはないかもしれません。もう最後の段階なのかもしれませんが、毎朝、命を授かったこと、深く花の香りを吸い込めることに感謝しています。昨夜は爽さんが、明日は私たちの結婚記念日だからお花を買ってくれると言ってくれました。どうしてこんなにいい夫を授かったのでしょう。おばあさんのお祈りが効いたのかもしれませんね。でも、私のような女にはもったいな人です。みんなきっと嫉妬していますね。ありがとうございます」

 千緒の心がいつも穏やかであったわけではない。時には自分の運命を受け入れて、自分でなんともしがたいところで起きていることに身を委ねなければならないことに苦悩している。また、彼女は周りの人の負担となりたくない。もっと生きたいという欲求を感じる時には、長く生きれば、死ぬ準備を整えつつありながら自分のために生きなければと感じている爽に迷惑をかけることになるのでは、と心配になる。

 爽は最後のステージまで千緒に付き添い、自分の「準備はできたかい?」との質問に彼女がわずかに頷いたのを、苦痛から解放する二四時間睡眠薬の点滴を求める合図だと解釈した。それが春のことで、その年の秋には爽も同じホスピスに入院した。

 彼の最後の仕事『二本の木―夫婦がん日記』は、爽の魂のリハビリテーションとなり、同じがん患者として妻のあとを追った爽の、二人の愛への遺産となった。それは本となり、NHKのテレビ番組となって賞を得、さらにはオペラにもなった。それは、暗い森を一緒に通り抜けるなら、末期疾患の最後の数時間であっても愛は育つことができるのだと、優しく証明している。

 爽の最後の言葉は私の心に残っている。

「運命が私に執行猶予の時間を与え、妻を最期まで介護し、この日記を完成させる時間をくれ

ました。この作品のおかげで、私はこれまで以上に妻の優しさと強さを噛みしめるようになりました。それが私の最後の日々を支えてくれるでしょう」

58 views0 comments

Recent Posts

See All
bottom of page