サマーキャンプといえば果てしない楽しみが待っているもの、そう私は思っていた。二人の親友が行くというので、一緒に行きたくてたまらなかった私は、父に年齢を偽って参加できるようにしてくれと頼んだ。私は七歳だったが、八歳でなければ参加できなかったのだ。私の大胆さを気に入った父が申込書に誕生日を変えて書いてくれたので、私は二週間の宿泊キャンプに行けることとなった。
だが、実際のキャンプは必ずしも思い描いた通りではなかった。それは裕福な子ども向けのキャンプではなくボーイズ・クラブのキャンプで、市の全域から集まった荒っぽい子どもでいっぱいだった。脅えた私は気づかれないようにしていたが、参加していた唯一のアジア系の子どもだったので、どこに行くにも目立ってしまった。
私がそばを通ると子どもたちは囁きあったり、遠くから「よう、ジャップ」とか「チャイナマン!」と叫んだ。みんなが笑ったり中国語を話す真似をしていた。どうしたらよいか私にはわからなかった。相手は多すぎたし、ケンカするにも体が大きすぎた。そこで何も聞こえないふりをしていると、近づいてきて脅かすような子どもはいなかった。私も年のわりに大きかったし、あいつはカラテを知っているからケンカするなと彼らが冗談を言うのが聞こえてきた。
彼らがケンカを望んではいなかったとしても、やっぱり私は怖かった。ギャング集団が揃って力で圧倒し、殴りかかってくるのではないかと不安だった。暴力の気配をひどく恐れて、彼らの顔つきや言葉にある嫌悪を感じて恐怖でいっぱいだった。また、私のことを知りもしないのに、なぜこうも毛嫌いするのかが理解できなかった。
さらに悪いことに、私が暴力を避けていたにもかかわらず、友人たちはそうはいかなかった。ジョウイは九歳でもう髭を剃っていたのだが、ショーンがその毛深さをからかうと、ジョウイは彼を追いかけ、剃刀を握っていることも忘れ彼に向かって手を振り回した。首から血が噴き出るのを見てショーンが叫び声をあげた。ジョウイのほうは手がつけられないほど大声を張り上げると謝り始めた。
結局、二人とも家に送り返されることとなり、あとには私ひとりが残された。年長の子どもを対象とした泊まりがけのキャンプに参加したいと言った私の大胆さはすっかり消え失せ、友だちなしではじめて家を離れて過ごさなくてはならないことに脅えた。ホームシックの私は、毎晩、暗いキャビンのベッドの中で、母と父と姉たちと家にいるんだったらいいのにと願った。
一週間が経つと両親の訪問が許された。私に会いに来た母と父は「キャンプはどうか」と尋ねた。「まあまあだよ」と私は噓をついた。強いところを見せたかったからなのだが、どういうわけか自分の辛さをそれ以上隠せなくなり、私はしくしく泣き始めた。うつむくと小さな体を震わせながら、すすり上げ始めた。それまで父の前で泣いたことは一度もなかった。父が泣いたことは一度もなかったし、私もそうしていた。ひとり息子として、父が私に強くなってほしいと思っていることは知っていたので、弱い意気地なしと思われたくなかったのだ。しかし、父は腕を私に回すと、彼の広い胸に抱きしめた。そこで私はすべて打ち明けることにした。
私は多くは説明せず、ただ、子どもたちが私をいろいろな名前で呼んでいることや友だちが帰ってしまったことを話した。父は優しく言った。「いいんだよ、スティーブ、家に帰ろう。ここに残る必要はないよ」。
しかし、おかしなことだが、父がそう言ったとたんに突然家に帰りたい気持ちが消えていった。落ち着きを取り戻し、涙をぬぐってしまうと、そこに残ると私は伝えた。両親は私の気持ちが変わるかもしれないと、その午後はしばらくとどまってくれたが、私の決心が揺らがないと見て、最後の一週間そこに私を残して彼らだけで帰って行った。
キャンプについて他のことはたいして覚えていない。しかし、これらの出来事について私はけっして忘れることがなかった。今では、あの日、父が私に大きな贈り物をくれたということがよくわかる。私が大冒険に失敗したことでがっかりしたに違いないが、父はそれを表に出さなかった。私を傷ついてひ弱なままにさせてくれた。弱さとともに私を受け入れてくれたのだ。泣くのを許し、私を慰めてくれた。そして、それが私に続ける勇気をくれたのだ。自分の人生を振り返って、父の優しい思いやりには永遠に感謝している。私自身が父親となり、二人の息子を授かった時には、父がどう私に接してくれたかを思い出し、息子たちの弱さを受け入れるなら彼らも勇気を見つけることができると信じてきた。
親として私たちの仕事のひとつは子どものヴァルネラビリティを受け入れてやることだろうと思う。そうすれば彼らも弱い感情を受け入れることができ、厳しい経験を耐え抜くことができるだろう。子どもたちの涙を前にしても焦ることなく、彼らが泣かねばならないなら泣かせてやるのが大切だ。それが本当の意味で充実した人生につながると信じるから、私は若者たちにヴァルネラビリティを自分に許し、受け入れる術を学ぶ方法を教えている。彼らは、辛く痛々しい思いは乗り越えられるものだと知って、自分には複雑な社会を生き延びて繁栄する能力があると信じて生きていく必要があるのだ。