初心者の心には多くの可能性があります。
鈴すず木き 俊しゅん隆りゅう『禅マインド ビギナーズ・マインド』
大学を出たばかりでまだ職にも就いていなかった私は、家賃を払うためにマサチューセッツ州ケンブリッジの公立学校の代講教員となった。都市部の公立学校で誰かのかわりに教えるというのは、アメリカでは悲惨な仕事とされている。実に一日二五ドルのための地獄だった。教えるなんてとんでもない。その日の終わりまでなんとか耐え抜くことだけが目標だった。
手ごわい都市部の子どもたちは私の手にあまるどころではなかったが、もしかすると、どんな代講教員にとっても同じだったかもしれない。生徒たちは始業ベルの音とともに私を飲み込み、最後の授業のベルが慈悲深く鳴って処罰の終わりを告げると私を吐き出した。ただその日を乗り切るだけでなく、もう少しましな何かができるようにと、私は心底、救いを求めていた。そんなある朝、新しい学校に歩いて向かう途中、私はある素晴らしいことを思いついた。
その日は五年生の授業だった。私は集め得るかぎりの自信を装って、大またで教室に入っていった。といっても、そんな様子に気づいたり気にかけたりする生徒はほとんどいなかっただろう。
私は彼らに向き合うと、座って静かにしなさい、と日本語で言ってみたのだ。すると、生徒たちの顔がこちらを向き、私をじっと見つめた。そこで、同じ指示をもう一度繰り返してみた。疑うような生徒たちの表情が笑顔へと変わっていくのが見て取れた。そして彼らは私に質問を浴びせ始めた。
「なんて言ったの?」
「先生、大丈夫?」
「何語を話しているの?」
私は信じられないと言わんばかりの様子で彼らを眺めて言った。
「日本語を話しているんだよ。わからないのかい?」
生徒たちは叫び返してきた。「わからないよ。日本語教えてよ!」
こうして私は彼らに日本語を教えることとなり、その日はあっという間に過ぎた。私が教えたのは「こんにちは」の言い方と、自分の名前の書き方だった。その時の私は生徒たちの興味と注目を集めていた。彼らは好奇心に溢れた、熱心な学習者だった。そして、彼らは全員がそこに誕生したばかりの、多くの可能性を持つビギナーだった。
まもなくして安定した職を得た私はこの栄光に満ちた日のことを忘れていたが、数年後、この校区のあたりを歩いていると、誰かが大声で呼ぶのが聞こえてきた。
「ちょっと、先生!」
振り向くと、若い笑顔のティーンエイジャーがいた。
「日本語を教えてくれた先生だよね?」
それは今では青春真っ盛りとなったリカルドだということに、私ははっと気がついた。数年前のあの日、日本語を学ぶことに誰よりも興奮し、夢中になっていた子どもだった。同時に、彼の正規の担当教員が代講に来る私に残したメモのことも私は思い出した。リカルドが学習に「反抗的」で「敵意がある」生徒のひとりだと、警告する内容だった。
しかし、私と会った時の彼は真新しい何かを始めたところで、ビギナーの心を持っていた。われわれはいかに学ぶものか、いかに教えるものかを理解するうえで、この経験は私にとってけっして消えることのない忘れがたいものとなった。それは眠ったままそこに潜み続け、何年もが経過し、私がそれを必要とした瞬間に再び現れてきたのだだ。